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日々の雑感

【自己投資】10年後には語学力は必要なくなるのか・・・?な考察

もくじ

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久々に、海外に行ってました。そして久々に、英語と仏語で会話しました。

※私の語学力についてはコチラ

外国語ができて良かったな、ととくに思った瞬間は、博物館などでオーディオガイドを借りる時です。

mayumi
mayumi(管理人)

友人たちと外国語で話すのは、凹むことすらあれど、もはや感動はない・・・

オーディオガイドは、海外では日本語版が用意されていることはほとんどありません。したがって、英語版を借りることになります(私は仏語よりは英語のほうがまだ語彙がマシ)。

博物館ではオーディオガイドがあるとないとでは、理解度に大いなる差が出ます。私はいつもお金を払ってでもオーディオガイドを借りる派です。もしくはガイドツアーとか。ガイドツアーも、現地語以外では大概は英語。

でも、ふと思いました。

翻訳アプリがどんどん進化しているこの現代、10年後には語学力なんか要らなくなっているんじゃないか、と。

語学ができることは果たしてこれからも意味を成すのか、少し考えてみました。

語学力を持つことのメリットを考えてみる

商談などでは、将来は本当に語学力は不要となるでしょう。条件を言い合って、合意するかしないか、です。

文章の翻訳も、即時で完了。海外メディアのニュースも、オンタイムで、自然な日本語で理解できるようになる日も遠くない。と思います。

とすると、語学ができるメリットは一体何なのか。

電力が要らない

翻訳アプリやらを使う時、何かしらの電気機器及びインターネット回線が必要です。

その点、語学力があれば、電力もインターネット回線も必要ない。災害時に強い、とも言えます。

また、言語を変換するタイムラグもない(英語で話すときは英語で考える)ので、時間のコストも、わずかですが翻訳アプリよりは減ります。ま、勉強するのに時間をすでにかけてはいますが・・・。

ということは、語学ができる=色々とエコ、ではあります。

安全である

翻訳アプリは、膨大なデータベース等に接続し最適解を見つけるという性質から、インターネット回線が現時点では必須です。

インターネットに接続している限り、傍受されたり介入を受けたりするリスクはゼロではありません。

現在、インターネットの 5G 回線の議論がありますが、そのインフラを支えるのは中国企業(Huawei 等)であるともっぱらの噂で、回線業者は通信情報を把握できるアドバンテージを持つことから、アメリカが猛反発しているという日経新聞記事(2018/7/2 朝刊)もありました。

自動運転の自動車でも、悪意あるリモートコントロールを受けた場合にどうするか、という議論があります。

また、先日も、Amazon のアレクサが夫婦の会話を勝手に録音して部下に転送していた、というニュースもありました。

mayumi
mayumi(管理人)

何が言いたいかというと、悪意ある第3者によって、翻訳アプリを通して違う内容を伝えられてしまったり、会話の内容を傍受される危険性も、なくはない。

その点、語学ができるということは、自分が発話する内容を自分でコントロールできるので、改ざんの心配はまったくありません。

また、ネット回線からの直接的な傍受はなくなるため、盗聴器を別にすれば、大幅にリスクが減ります。

自然なコミュニケーションができる

将来的には、AirPods のようなワイヤレスイヤホンをつけて、外国語同士で会話ができるようになっているでしょう。

しかし、会話は言葉そのものだけではありません。

会話の間(ま)、空気感、イントネーション、声の大きさ、喜怒哀楽、その人の品位、語彙の絶妙なチョイス、その言語が持つ特有の言葉など、自動翻訳では表現できないものが色々あります。

たとえば、女が男に言う「あなたのことなんか好きじゃない」は、実は逆の意味だったりすることが時にありますが、これをそのまま機械で翻訳されちゃあ、身も蓋もありません。

また別の例えですが、あるイギリス人友が、つい F ワード(s で始まるやつ)を言いそうになり、「s... ! sugar...」と言い直したとき、周りの皆が爆笑したアレ。機械翻訳じゃムリです。

道を聞くだけなら翻訳アプリで十分ですが、ガイジンの友人たちと生身の会話、となると、やはり自分自身に語学力があったほうがお得なことは間違いないでしょう。

ボケ防止になる

何でもかんでも機械まかせのこの時代。

漢字変換もパソコンまかせで、漢字がだんだん書けなくなっているのは、私だけではないはず。

自分で語学ができて話せれば、必然的に脳を使うことになり、ボケ防止になります。話す機会があればの話ですが・・・。

達成感が得られる

非ネイティブの言語を身につけるには、相応の努力が要ります。とくに、母語が日本語の人間にとって、英語などの欧州の言葉は習得に時間がかかります。

それだけに、話が通じた時の感動は格別です。

※と言っても、感動は最初のうちだけで、レベルが上がると「通じない苦痛」「うまく話せない自分への失望」のほうが大きくなります w

登山をした人だけが登頂の感動を得られるように、努力した人が得られる達成感が、確実にそこにあります。

違うペルソナを持てる

話す言語によって、その人のキャラが変わることが多々あります。

たとえば、私の香港人の友は、広東語・北京語・英語・フランス語をアカデミックなレベルで流暢に話します(私とは、英語か仏語で会話)。

彼女がもっとも得意な外国語である英語を話すとき、ものすごく強気な女性に見えるのに対し、仏語や勉強中の日本語を話すときは、なんだかキュートに見えて、私は密かにギャップ萌えしてます(何の話だ)。

キャラの変化は意図して起こるものではないですが、いろいろな外向き人格を持てるのも、それはそれでおもしろいんじゃないでしょうか。

私が外国語を話すとき、どういうキャラに見えているかは不明。

まとめ:技術が進んでも、まだ語学力は役に立ちそうな気はする

旅行の時に、電車の切符を買う、道を尋ねる、そんな程度なら翻訳アプリなどで十分でしょう。

もっと深い、人間らしいコミュニケーションを取りたい場合、やはり語学が自分でできたほうが今のところはいいですかね。

いやはや、10年後、20年後、通訳・翻訳業界は一体どうなっているんでしょうか。もしかしたらドル箱なのかもしれない、と、違うほうに考えを巡らせてしまう今日この頃です。(すでにレッドオーシャンなんだろうけど)

Author

mayumi

節税からの確定拠出年金で2016年4月から投資デビュー。資産は現在1,800万円程