「塾に行けない=不利」なのか?日経新聞の記事に違和感

2018年12月24日(月・祝)の日経新聞朝刊の教育面(14面)。

塾講師による連載「挑む」の最終回でした。

その中で、編集委員(横山晋一郎氏)の最後の一言に非常に疑問が・・・

塾は相応の負担が要る。階層の固定化が指摘される中で、経済的余裕がなく塾に通えない子供は、ますます不利な境遇に追いやられる。

え?塾に通えないと不利なの?

「塾に通うことが当たり前」という前提で書かれていることへの、この禁じ得ぬ違和感。

日経新聞を読む層は、「子供は塾に通わせるのが当たり前」と思っている方々なんでしょうか。

また、同じ記事の中で、座談会に参加した橋野Z会進学教室指導室長の一言にも「ん?」と思いました。

子供たちは受験勉強する場所は学校でなく、塾だという意識を持っている。

え、そうなの?

高校を卒業して早20年、時代が変わったんでしょうか。私の時代にも既に塾はたくさんありましたが、どうでしたかね。

もし本当に子供たちが「受験勉強は塾でするもの」と思っているなら、日本の塾ビジネスはウハウハだなー。(ちと、言い過ぎか)

私は塾に行ったことないけど・・・

記事への違和感の原因はもちろん、私が塾に通ったことがないためであります。

※河合塾等の全国模試や、短期講習には参加経験あり。

私は幼い頃より、「我が家は貧乏」と言い聞かされて育ったため、「勉強は学校で教わることを一生懸命やればよい」という姿勢が中学1年生の時には身についており、実際それで成績が上位だったため、そのまま高校3年生まで健気にそれを実践しておりました。

その結果。

滑り止めなしで、地元の国立大学理系の前期に一発合格です。

残念ながら旧帝大ではありませんが、学費的・生活費的には、親孝行な最低ラインに収まったと言っていいでしょう(それでも、第一種奨学金を借りてましたが)。

ちなみに滑り止めを一切受けなかったのは、

「どうせ私立に入ったところで先立つものがないから入れない。数万円の受験費用も無駄」

という、割り切った考えのためです。滑り止めを受けておきたい、という考え(欲)すらありませんでしたね。

塾には行かなかったが、習い事はしていた

塾通いはしませんでしたが、習い事はさせてもらっていました。

それは「書道」と「そろばん」です。

(ピアノも習ってたけど、練習がイヤで小3で辞めた)

自分で言うのもなんですが、それなりに美文字なので、バカでも頭が良く見えます(笑)。

そろばんは中学に入ってから辞めてしまいましたが、その後の理系思考の土台になったことは間違いないでしょう。もっとやっときゃ良かった、と思う習い事の一つです。

学校の補習には積極的に行きまくった

「学校での勉強を一生懸命やればよい」という姿勢から、学校で開催される補習には片っ端から参加していました。

国立理系の志望でしたが、私立文系組の英語の補習にすら参加していましたよ。

大学進学に多少なり力を入れている高校だったので、塾に行かずとも色々と勉強のカバーをしてもらえた、という点は、大きかったと思います。

みんながみんな、そういう学校に行っているとは限りませんから、塾で学校以上に勉強したい、というご意見はごもっともです。

お金がなくても勉強は出来るぞ!

日経新聞に言いたい。

塾に行かなくたって、学校での勉強や自分で数研出版の問題集をやりまくれば、滑り止めなしで国立理系にだって合格出来るどー!と。

「経済的理由で塾に通えない子は不利」ですって?

確かに、教えることのプロフェッショナルによるわかりやすい授業、いつでも勉強に集中できる自習室、塾での仲間など、塾の恩恵は、塾に通わないことには受けられない。

ですが、能動的に自分で勉強することはどこでだって可能です。

要は本人のモチベーション次第なのでは。(ま、何でもそうですが)

(余談)数研出版の問題集、好きだったなー。特に数学と物理で超お世話になりました。私は赤本は殆どやらなかった派です。

やる気を見せれば助けてくれる人はいる

塾には通わなかった私ですが、父の会社の後輩のお兄さん(九大卒)には、それこそ数学と物理をよく教えてもらっていました。

私が超やる気まんまんだったので、教え甲斐もあったことでしょう・・・。今でも大変に感謝しています。

大人の世界でもそうですが、「こういうことをやりたい!」と言い続けていると、誰かがそれを耳にして助けてくれる、ということが、非常にしばしばあります。

なので、「経済的に許せば塾に通いさえすれば良い」ということはないんじゃないでしょうかね。

塾に行けないなら行けないなりに、今出来る限りのことをやれば道は開けるんじゃないでしょうか。